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2011.04.17

「花散るころにもの想う」

桜の花が散りはじめると、西行の和歌を想う。

「願わくは 花の下で 春しなむ そのきさらぎの 望月のころ」 
(西行法師)

桜の花をただ美しいと感じるだけでなく、
その中に、はかなさや、もの悲しさを感じるようになったのは
いつの日のことだったろうか・・・。


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それは、
ふとした折に、コーヒーやお酒を美味しいと感じたあの感覚に似て、
桜に対してそれまでと異なる情感が沸き上がってきたように思う。
何か体質が変わり、新たな感性が目覚めたかのように・・・

かつて日本人は、
華やかに咲き誇り、そして潔く散っていくその姿に、
「諸行無常」という感覚を見いだしていた。

この世のあらゆるものは変化してやまない。
人も同様にして、生を受け、やがて死んでゆくといった
『平家物語』の冒頭「祇園精舎」にも登場するそれだ。



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また、
優美と憐憫を併せ持つ桜は、記紀の時代から愛されてきたことは、
万葉集や古今集をひも解けば一目瞭然である。

「あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも」
(山部赤人)

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「桜花 時は過ぎねど 見る人の 恋ふる盛りと 今し散るらむ」
(詠み人知らず)



「桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰かもここに 見えて散りゆく」
(柿本人麻呂)

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「花は桜木、人は武士・・・」(一休禅師)
すなわち、桜と同様に、
武士は生きている間は常に気高い美意識をもち、
死に際は潔く綺麗に死にゆくのが一番である。

三島由紀夫が愛した武士道精神も、桜を手本としていた。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』  山本常朝)



桜は、日本人の美意識とともに死生観をも象徴している。


古代から日本人のDNAに連綿と受け継がれてきた、
桜に対するこの独特の感覚は、普段は表出することは少ないが、
桜の開花とともに少なからず覚醒するように思われる。



「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」(本居宣長)

なるほど桜が国花といわれてきたのも、自ずと頷ける。

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