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2011.04.10

「自然回帰と白洲正子展」

人は、ふと自然に回帰したくなるときがある。
それはなぜだろう。

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山川草木とふれあうことで、自分も自然の一部であるということを
再認識したいのだろうか。


何かに突き動かされるように人々は野山に出かけ、
花や草木を愛でることで、心の安寧を保っているのではなかろうか。

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自然を忌避しながら、都市という空間で暮らしていると、
自分さえもその仮想空間に取り込まれてしまうのではないかという
ある種の危機感を体が覚えるのかもしれない。

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それは、人間がもつ本能ともいうべきものなのか。

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日本は、その国土の約7割を山野におおわれており、
記紀の時代から自然崇拝、山岳信仰の篤い国であった。

自然を畏怖し、自然と共存しながら暮らすなかで、
日本人の価値観や美意識が培われてきたのではないかと思われる。


時として起こる自然への回帰心、
それは連綿と受け継がれた日本人の深層心理ではなかろうか。

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ところで、文筆家の白洲正子さんは、
日本の山野を愛し自らその脚で日本全国を旅して歩いた。

樺山伯爵家令嬢であり、ご存知のように白洲次郎の妻である。

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         (白洲次郎)                      (白洲正子)

正子さんは、自分の眼で見たもの感じたもののみを信じ、
独自の美意識でそれを書き記した。
著書『かくれ里』では、人里離れた山野に佇む神仏像を紹介している。


そんな白洲正子さんの生誕100年特別展が、東京の世田谷美術館で開催されている。
昨年、滋賀県立近代美術館で同様の展示が開催されていた。

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展示は、白洲正子さんの著作ととも、関連する重要文化財や国宝が展示されている。
特に正子さんが執心した十一面観音立像は注目に値する。

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白洲正子さんは、
「ひとりの人間として自然と向き合うことで、人は何を感じ得るのか」
それを問いかけているように感じた。

自然への回帰。
それは人間も自然の一部であることを意識することで、
生あることを喜び、死することを憂う存在という、
生者必滅の理を呼び覚ますものではないだろうか。

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