DIARY

2012.03.18

「次の出会いに期待するもの」

スバルとトヨタの出会いは、BRZ(86)という新たな思想を生み出した。

それは、低重心の水平対向エンジンを、フロントミッドシップにレイアウトした
FRスポーツということに他ならない。

Rimg0013



コーナリング安定性を高め、ドライバビリティを向上させるこのエンジンレイアウトは、
ピュアスポーツカーの資質ともいえる最良の手段だ。
BRZ(86)は、スバル単独、トヨタ単独では生まれえない、唯一無二の産物だろう。

以前も書いたが
環境性や経済性が重視され、さらに若者の車離れが進んで久しいこの時代に、
スポーツカーを製造するという行為はメーカーのチャレンジ精神の表れであり、
その心意気は大いに賞賛されなくてはならない。

豊田章男社長は、一昨日の会見で以下のように述べている。
「世界中に日本のモノづくりが頑張っていることを示す切り込み隊長になってくれれば良い」

今後の日本の物づくりは、
このように新たな思想の出会いから新たな価値を創造していく、
勇気とチャレンジ精神をもって、世界市場で勝負できる商品を開発して行く必要がある。
そう、iPhoneやiPadのように。

続いて、スバルとの関係について以下のようにも述べている。
「単にトヨタの言うことを聞く会社ではない。
お客様、市場、そしてまた日本のモノづくりにとっても本当に両社が戦いあった結果、
いいものを出していくので期待してほしい」

未曾有の震災から1年が経過し、円高不況からも脱出しなくてはならない今こそ、
オールジャパンとしての有機的な連携を期待したい。

トヨタとスバルは、BRZ(86)という車でその手本を示してくれている。


ところで、
スバルとトヨタによる新たな価値の創出は、実はBRZ以前にも起きていた。
トレジア(TREZIA)という車がある。
現在、スバル唯一の5ナンバーサイズのコンパクトカーだ。

トレジアはラクティスのOEMといわれるが、
ラクティス後期モデルをスバル車、すなわちトレジアにするために、
約100名の開発要員をトヨタに出向させたと聞く。

スバルは、ラクティスをトレジアとして自信を持って販売するためには、
自分たちの思想を少しでも埋め込む必要があったのだろう。

そのメーカーの思想の違いは、CMに端的に表れていたように思う。

トレジアのCMは、玉山鉄二のによる「トップガン」さながらの演出。
一方、ラクティスのCMは、家族で使えるパッケージングをアピール。

走りを売りにするスバルに対して、パッケージングをセールスするトヨタ。
ここにメーカーのフィロソフィーの違いが浮き彫りになっている。

出会いは、有機化合物のように新たな価値を様々なカタチで創出していく。
それは、メーカーとユーザーというレベルでも同じことがいえる。

今回、
車検を半年後に控えたステラRSを、このトレジアに乗り越えることにした。

Rimg0026Rimg0030

カラーはステラと同じく、パールホワイト。
サイズ1.5Lモデルだ。


出会いは偶然のようであって、
実は自らが招きよせた「必然」であるのかもしれない・・・。
大事なことは、そこから何を生み出すかということ。

それは人と人の出会いにおいても同様だろう。

次回は、
このトレジアのグレード・仕様と初期モデファイ等について書きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.03.05

「スバル軽生産終了と出会いと別れ」

3月に入り、出会いと別れの季節がやってきた。

人間は、出会いと別れから学ぶ生き物といわれる。
人間を人間たらしめているのは、出会いや別れから得た経験や知識であって、
それを継承することで文明というものを築き上げてきた。

ガイア的観点でみれば、人間は出会いと別れの副産物とも見える。
出会いや別れに何らかの意味や価値を見出すことができるのは人間だけだろう。

しかし、
現代社会では、心の安寧を保とうとするあまり、出会いや別れを直視せず
できるだけ避けようとする傾向が強いように思われる。

実際は、その出会いや別れを直視することによってしか、
本質を感じ得ることが出きないものが沢山あるのだが・・・。

卒業然り、別離然り。すなわち魂の出会いと別れなのだろう。


ところで、
先日、2月29日をもってスバルはサンバーの生産を最後に、
軽自動車生産ラインの幕をおろした。

Sambar_2

かつてスバル360によって、人々のライフスタイルを変えたその伝統は、
その後も4輪独立懸架、4気筒という軽自動車の枠を超えて、
メーカの独自性、すなわち「こだわり」として今日まで受け継がれてきた。

私もプレオとステラで、その「こだわり」を実感してきた。

Imgp544920101024128711


確かに、水平対向エンジンこそはスバルの「こだわり」ではあるが、
軽自動車の独自性もまたスバルの「こだわり」を十分に表出していたと思う。

この「こだわり」にこそ日本の物作りの原点があるといっても過言ではない。
それが、終焉を迎えるということはとても残念なことと思う。

しかし、
ここで、スバルは過去を捨て去り、新たな船をこぎ出す決意をした。
この生産ラインでは、トヨタと共同開発したBRZと86の生産を行うという。

別れ、そして新たな出会いからスバルは何を学び、何を創造していくだろうか。
期待しながら、次の展開を心待ちにしたい。

ところで、
時を同じくして私もスバルの軽自動車ステラRSを卒業することにした。
「次の出会いに期待するもの」については、次回書くことにしたい。

201010241290

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.01.08

「2012年。こころ新たに」

明けましておめでとうございます!

2012_4


年賀状、大掃除、紅白、初詣、実家挨拶・・・
年末年始は、判で押したかのように例年と同じであった。
これらの行事で休みを終えてしまう人も多いのではないだろうか。

今年は新年を迎えられる幸せをより実感する。

大仰な哲学や宗教観は持ちあわせてはいないが、
いまここに「生」あるからこそ、これから向かう未来にむけ
自分が果たすべきことを考えていく必要がある。

年を重ねるとともに毎年同じ行事が繰り返されて、
振り返ったときには、あたかも時が短縮されたかのように感じて
しまうのは仕方のないことなのだろうか。

10代の頃を長く感じられるのは、
日々新しいことに出会っていたからではないか。

昨年において反省すべきは、
健康増進を目論んではじめたロードバイクにあまり乗れなかったことだ。
実のところ4回しか乗っていない・・・(汗)
他の趣味とのバランスにおいて
自転車に乗る時間をなかなか割くことができなかった。

なんとも、壁のオブジェとなってしまっている。

Dsc00978


車同様に!?趣味性の高い移動手段となってしまっているようだ(笑)


年を重ねるとともに、時間の価値は高まっていく。

週末の時間の使い方を創意工夫し、
今年は、できるかぎり新鮮なできごとで時を刻んでいきたい。

Dsc01608_2

今年もよろしくお願いいたします!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.09.03

「京都の夏祭りに想う」

朝夕の風が涼しさを増し、ヒグラシ蝉の声が聞こえ始めた。
季節の移ろいを感じることができるのは、日本人としての幸せだろう。
今年の夏は、暑かったが短かったように感じる。

「今年は、京都の夏祭りに行きたい・・」
そう思った7月のはじめころだった。

日本各地で夏には様々な祭りがあるが、盂蘭盆会(お盆)の色彩がつよい。
そして京都といえば、「五山送り火」。
「送り火」というからには、当然「迎え火」もあり、
京都の「門火」風習のひとつといわれている。

この機会に「五山送り火」に加え、前日に行われる
花背八桝町の「花背松上げ」の火祭りも見ることにした。

旅程には、私が好きな嵯峨野の散策も盛り込んだ。
今回はいつも、時間切れとなってしまい拝観できていない「清涼寺」
中心に散策を練った。

Rimg0020

広大な敷地に堂々たる佇まいの「清涼寺」(嵯峨釈迦堂)。

光源氏のモデルといわれる嵯峨天皇皇子、源融の由緒がある。
また、大阪夏の陣で自刃した秀頼の首塚には驚いた。

幸運にも清涼寺の本尊、釈迦如来像をご開帳しており、
間近で拝むことができた。通常は春先のみであったように思う。

続いて、散策路にある藤原為家の墓を訪れる。
父はご存知、和歌で名をなした藤原定家。(藤原俊成ー定家ー為家)

Rimg0026 Rimg0027
小さな公園の脇に、ひっそりと佇んでいるのが印象的であった。

Rimg0030

厭離庵は、臨済宗天龍寺派の尼寺。
普段は非公開寺であり、扉のみ開いていた。
奥には定家塚があるというが、いつか訪れてみたい。
ちなみに、あの小倉百人一首は、ここで宇都宮頼綱の要望により
藤原定家が練ったものという。

今まで知らなかったのだが、この辺りは竹林が有名がらしい。
若者に人気の散策コースというが、私の観点からはハナからずれていたようだ(笑)

Rimg0033Rimg0034

続いて、
夏の夕暮れ時の大覚寺「大沢池」に立ち寄った。
遠くで蓮の花が、みごとに咲いていた。

Rimg0042

そして、
いよいよこの日の本題となる松上げの祭りが行われる花背八桝町へと向かった。

夜は天狗がでそうな鞍馬山へ向かうほどに深まっていく。
鯖街道とは誰が名付けたのか、若狭湾からとれた新鮮な鯖を運んだという
つづら折りの道をレンタカーでひた走る。それも軽自動車である(笑)
実は、京都においては軽自動車がきわめて便利であることが今回よくわかった。

「本当にこの道でいいのか?」
と思われる細く暗い道を市内から1時間ほど走ると川沿いの祭場に到着する。

Rimg0049Rimg0061

松明を手にした、村の男たちがどこからともなく登場。
雄々しく皆気合い十分である。

Rimg0055Rimg0064

河原に準備された無数の松明に火がともされていく。

気がつくと、
不安げな闇はいつしか幻想的な光景へと変貌していた。

Rimg0068_2

男たちは、この松明のなかで玉入れのように巨大な松明に向かって
火の固まりを投げ入れていく。

Rimg0080_2

この祭りを、終わりまで見ていると22時半となる。
帰りは、峠の下り道をレンタカーで楽しみながら宿には23時過ぎに到着。

翌日。
暑い日差しが古都に照りつけていた。
送り火で燃やしていただく護摩木を奉納するために、
大文字の麓の銀閣寺にある受付場所へ向かった。

Rimg0097 Rimg0093

出発直前、東日本大震災によって大きな被害を受けた陸前高田市の護摩木を
「五山送り火」で燃さないことに決まったというニュースが流れた。
岩手から京都へ送られた護摩木に、
わずかな放射能物質が検出されたことがその理由という。

京都市内を移動するタクシーで、年配の運転手さんは自らこの話題にふれ、
「京都市民として、日本人として恥ずかしい」と語っていた。

自分や家族を防衛することはとても大事なことだろう。
しかし、同じ日本人が苦しんでいるときに、その人たちの気持ちを考えず
利己主義に走るような言動は、悲しくも日本の未来を憂わざるをえない。

Rimg0153Rimg0154

道で倒れている人がいても、見て見ぬ振り・・・
日本の未来が、そんな風にならぬことを心から祈る。

Rimg0159_2Rimg0161

「子供たちのことを見守ってください」
「今までありがとう。また会いたいです。会いたいです」
「必ず もっといい町にするぜ」
岩手から送られた護摩木には、そんな言葉が綴られていたという。

Rimg0157

夏祭りといえば、
きっと誰もが思い出す風景がある。

父と母に手を引かれ、
夜空に浮かぶ大輪の花火を見ながら露店が連なる道を歩く。
そんな子供のころ見た風景がノスタルジックに思い出される。

Rimg0007

そして、
年を重ねるとともに、そこには様々な想いが重なってゆく。
震災のあった今年は、さらに特別な意味が加わった人が多いだろう。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.07.23

隠国「熊野」で想う死生観

先月は多忙を極めていたが、さなか仕事から逃げるように
紀伊半島の熊野を旅した。

熊野に行ってみたいと思ったのはいつの日からだろう。
それは「生」と「死」というものを意識しはじめたころに起因するように思う。

神が降臨したというその地に身を置いてみたら、
自分の中の何かが開かれるのではないか・・・そんな気がしていた。

Kk1 20110611186

東京から和歌山県の新宮までは、およそ6時間。
梅雨空の折、南紀電鉄ワイドビューで名古屋を経由し、紀伊半島を南下した。


熊野の「熊」は、もともと「隈」という字が語源であり、
隠国(こもりく)、すなわち死者の魂が集まる場所と考えられていたという。


紀州の文士、中上健次は次のように書いている。

 那智の青岸渡寺と大社は鳥葬、海辺にある補陀洛山寺は水葬、
 新宮の神倉は鳥葬、王子、阿須賀、速玉は水葬の死体が集まるところだった。

 その町は、死んだ者の魂と生きている者の魂の、行き交うところであった。
                                   (中上健次『浮島』より)



20110611190

神倉神社
その場所に達するためには、鎌倉作りの石段を五百三十八段も登らなくてはならない。
写真でもわかるよにかなり傾斜がキツイ。

頂上には、ご神体のゴトビキ岩にいまにもつぶされそうな社が佇む。

熊野三山の主神たちは、まずこの地この場所に降臨したというが、
確かにそんな趣が漂う。

ここから眺める景観は、梅雨空でも十分映えていた。

20110611192


神倉神社にほど近い場所にある、熊野速玉大社
神倉神社の古宮(元宮)に対して、速玉大社は新宮(にいみや)という。
新宮(しんぐう)市、もここに由来している。


20110611197_2

「未来へ繋ぐ 日本の祈り」。
今こそ日本救いたいと願う、熱い想いが伝わってくるようだ。

この日は、熊野本宮にほど近い川湯温泉に宿をとった。
夜は、翌日の熊野古道への無事を祈り御神酒をたっぷりいただいた(笑)
旅の疲れを癒す美酒であった。

翌日。
早朝8時!?に起きて発心門王子から本宮を目指す。

20110611198  20110612212

発心門王子までは、旅館から送迎バスが出ているが路線バスも運行されている。

熊野を目指すルートは多々あるが、
ここは中辺路(なかへち)、熊野本宮大社から7kmほど手前にあたる。


20110612210

本宮へ至る熊野古道は、聖地熊野三山を目指す信仰の道。

平安から江戸時代にかけて、蟻の熊野参りといわれるほど多くの人が参詣したという。

20110612218  20110612215

ちなみに熊野参詣を始めたのは、花山天皇(968-1008)。
最も多く参詣した天皇は後白河天皇(1127-1192)で34回。


湿度が大変高く、古道の随所で壁は苔むして幾何学模様をつくっていた。

20110612223  20110612230

昔の人々は何を求めて遠路、厳し道程を旅したのだろうか。

かつて熊野詣でをすると、亡くなった人に出会うとも伝えられていた。
祖父母の魂と出会うとも・・・

そこには古代人の「死生観」があった。

2011061222620110612225

古道の途中、茶屋で温泉コーヒーなるものをいただいた。

なめらかな舌ざわりとほろ苦さの絶妙なバランスがいい。
ドトール並みの価格で、湯の峰温泉の長寿の湯でいれたコーヒーが味わえる。
小栗判官の物語を知っていれば、きっとお得感は増大するだろう。

古道をしばらく行くと見晴し台に出る。
大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が遠くに見えてくる。

20110612231

熊野本宮大社は、この高台を下ればすぐ。

現在、熊野古道は社の裏手に出るため、正面へまわったほうが気持ちがいい。

2011061223820110612237

多く人が祈りを捧げる本宮大社。
今回は、震災被害からの復興を一番に祈願した。

20110612233

かつて社は熊野川の中洲にあったという。
ところが、明治22年に森林伐採によって流されてしまったのだという。

2011061224820110612249

上の写真は、水害前の中洲にあった社と、
熊野十二所権現の神殿が横一列に建ち並んでいた当時の様子。


最近、速玉大社のご神木が知らず切り倒される事件があったと報じられた。
徐々に自然への意識が薄れてきていることの現れのようにも感じる。

日本の古代信仰である神道は、自然への畏れ敬いがその根幹を成している。
現代は、神道にとってまさに憂うべき危機的状況とも見えてくる。

この日は午後から天候が荒れたため、
紀伊勝浦まで移動して翌日の熊野那智大社参詣に備える事にした。



翌朝。
この旅初めての晴天。夏の陽射し

いよいよ熊野三山の最後、那智大社へと向かう。
大門坂から、那智大社に向かって再び熊野古道を歩くことにした。

2011061325420110613264

ここから四百七十六段の石段がつづく。

ご神木が居並ぶ那智大社への道。
樹齢数百年の樹々囲まれた道は、神秘的な異空間であった。

2011061326120110613262

鳥居まえの最後の階段は、まさに参拝者へのトドメ。
ここを登りきれば那智大社だ。

2011061326920110613270

石段と陽射しで背中はぐっしょりと汗でぬれた。
それでも満足感が得られるのは、この地を訪れたものしかわからない。

那智大社の境内には、これまた美しい大樹があった。

20110613272

これまでのどの樹よりも美しく、存在感がある。
思わず手をあわせてしまった。

青岸渡寺(せいがんとじ)を経由して、いよいよご神体の那智大滝へと向かう。

徐々に滝の音が大きくなり、期待感が高まってゆく。

2011061327620110613278

しばらく歩くと、眼前に巨大な滝が現れる。
水が轟音とともに落ち、水しぶきがほとばしっている。

このときばかりは、前日までの雨に少し感謝した。



20110613281

ところで、
以前訪れた京都高雄の神護寺を再興した文覚上人は、この那智の滝にうたれ
厳しい修行を積んだというから尋常ではない。


昔、平安・中世のころ、人は自然と密接な関係をもっていた。
あがなう事の出来ない自然は神とみなし、共存することで生きていた。

「生」も「死」も自然のなかにあった。
だからこそ、死後の魂が行く先があると信じ、そして熊野信仰が生まれた。


1000年の後、
文明によって人は自然と対峙することで安寧な生活を手に入れている。

人の幸せが、豊かな物質に囲まれることと思いはじめたのはいつの日か。
裕福であることとは多くの物質に囲まれることだろうか。
それとも魂と精神の昇華なのだろうか。

そのこたえが、生と死の意味を変えていくように思う。


死後は浄土が待つのか、地獄があるのか誰もわからない。
ただ「死」とはひとつの通過点であり、その意味こそが重要ではないのだろうか。


先日、70歳になる大先輩が次のように語っていたのを思い出す。

「年をとったからといって、学びはじめるのに遅い事はないと思います。
 死んだ後も、学び続けることが出来るかもしれませんから」

その気持ちは、すでに死の先を見ていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.05.06

「京都の春山に誘われて」

京都に桜の便りがきこえてくると、
そわそわしてしまうのは私だけだろうか。

4月も下旬となれば、洛中の桜はほぼ散ってしまっているが、
洛北の桜たちはまだ咲いていることも多い。

桜の期待とともに、どうしても行ってみたい場所があったので、
先日、私は早朝の新幹線に乗った。

それは洛北のさらに北。高雄という場所にある。


京都駅に到着すると、定宿に荷物を預け身軽となった。
市バスに乗って北へ向かう。

周山街道を走り約1時間後、清滝川のほとり、西明寺の入り口に立っていた。

Dsc01313

西明寺は、神護寺の別院として天長年間(824-834)に創建され、
正応三年(1290)に神護寺より独立した。

Dsc01320Dsc01322_2

運慶によって作られたという小さい本尊、釈迦如来像が美しかった。

西明寺を出ると、雨が降ってきた。
使いたくなかった傘を開いて、いよいよ目的の古寺へ足を向ける。


西明寺から10分ほど歩くと、山道に着く。

Dsc01324Dsc01327_2

長い石段をひたすら登っていくと、
突如そびえ立った神護寺の楼門が眼前に姿を見せる。

Dsc01334Dsc01335

私が訪れたい場所は、
この楼門からさらに30分ほど登る必要があった。

Dsc01378_4

神護寺は、平安京の造宮大夫であった和気清麻呂が開いた寺で、
かの弘法大師空海も真言密教の修験場とした古刹だ。

その和気清麻呂公の御廟もここにある。

Dsc01347


不動明王の石仏も、金堂もすばらしい佇まい。

Dsc01339Dsc01340

が、私が行ってみたい場所はさらにこの上にある。
それなりに登山ともいえる山道をさらに登っていかねばならない。

MERRELLのトレッキングで京都へ来たのは、少々大袈裟だったと思っていたが、
全くそのようなことはなかった。

Dsc01441

こんな雨の日は、普通の靴だと足下が滑ってキツイだろう。

Dsc01351_2Dsc01363

参道という名の山道を、不安を覚えながら登ることおよそ30分。
突如開けた場所が現れる。

私が訪れたかったのは、時代を変えた荒行の僧、文覚上人の御廟。

Dsc01357Dsc01360_2

文覚上人は、
この神護寺の再興を強訴したため後白河院によって伊豆に流されたが
同様に伊豆に流されていた源頼朝をたきつけて、ついには平家を滅亡たらしめ、
公家社会から武家社会へと変わるきっかけをつくった人物である。
(『平家物語』)

また、もともとは法皇を護衛する北面の武士で、名は遠藤盛遠といった。
従兄弟の妻、袈裟御前に横恋慕をしたが、誤ってその袈裟御前を殺してしまった
悲劇により、19歳で出家し荒行に身を投じた。
(『源平盛衰記』)

芥川龍之介の『袈裟と盛遠』、
カンヌ国際映画祭でグランプリは受賞した『地獄門』は、
この悲劇をテーマに描いている。

Kesatomoritou

文覚上人の墓前にしばし手をあわせ、東北地方の復興を祈念して下山する。

次に、15分ほど歩いて、
文覚上人の孫弟子、明恵上人の御廟がある高山寺に立ち寄る。

Dsc01382_2Dsc01383_2


明恵上人が暮らしたという石水院は、後鳥羽上皇が学問所として寄贈したもの。
教科書にも載っているあの『鳥獣戯画』は、ここに所蔵されている。

Dsc01391_2Dsc01388_2

そして、
この日の最後に立ち寄った場所は、やはり嵯峨野。

広沢池のほとりに立てば、とても心が落ち着く。
そういえば、去年もこの場所で池に映る桜を見た。

Dsc01414



ここにも、遅咲きの桜が私を待っていてくれた。

Dsc01425


いつものように大沢池の周りを歩くと、
その景色のなかで中世に思いを馳せることができる。

Dsc01444


ふと思う、
私は平安、中世の人間の生まれ変わりではあるまいか。

仁和寺には、御室(おむろ)桜が、地面から吹き出すように咲き誇っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.04.17

「花散るころにもの想う」

桜の花が散りはじめると、西行の和歌を想う。

「願わくは 花の下で 春しなむ そのきさらぎの 望月のころ」 
(西行法師)

桜の花をただ美しいと感じるだけでなく、
その中に、はかなさや、もの悲しさを感じるようになったのは
いつの日のことだったろうか・・・。


R0011122


それは、
ふとした折に、コーヒーやお酒を美味しいと感じたあの感覚に似て、
桜に対してそれまでと異なる情感が沸き上がってきたように思う。
何か体質が変わり、新たな感性が目覚めたかのように・・・

かつて日本人は、
華やかに咲き誇り、そして潔く散っていくその姿に、
「諸行無常」という感覚を見いだしていた。

この世のあらゆるものは変化してやまない。
人も同様にして、生を受け、やがて死んでゆくといった
『平家物語』の冒頭「祇園精舎」にも登場するそれだ。



20110413084


また、
優美と憐憫を併せ持つ桜は、記紀の時代から愛されてきたことは、
万葉集や古今集をひも解けば一目瞭然である。

「あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも」
(山部赤人)

Rimg0019


「桜花 時は過ぎねど 見る人の 恋ふる盛りと 今し散るらむ」
(詠み人知らず)



「桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰かもここに 見えて散りゆく」
(柿本人麻呂)

Rimg0042


「花は桜木、人は武士・・・」(一休禅師)
すなわち、桜と同様に、
武士は生きている間は常に気高い美意識をもち、
死に際は潔く綺麗に死にゆくのが一番である。

三島由紀夫が愛した武士道精神も、桜を手本としていた。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』  山本常朝)



桜は、日本人の美意識とともに死生観をも象徴している。


古代から日本人のDNAに連綿と受け継がれてきた、
桜に対するこの独特の感覚は、普段は表出することは少ないが、
桜の開花とともに少なからず覚醒するように思われる。



「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」(本居宣長)

なるほど桜が国花といわれてきたのも、自ずと頷ける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.04.10

「自然回帰と白洲正子展」

人は、ふと自然に回帰したくなるときがある。
それはなぜだろう。

Imgp0813_2

山川草木とふれあうことで、自分も自然の一部であるということを
再認識したいのだろうか。


何かに突き動かされるように人々は野山に出かけ、
花や草木を愛でることで、心の安寧を保っているのではなかろうか。

Imgp0820

自然を忌避しながら、都市という空間で暮らしていると、
自分さえもその仮想空間に取り込まれてしまうのではないかという
ある種の危機感を体が覚えるのかもしれない。

R0011010

それは、人間がもつ本能ともいうべきものなのか。

Pict0001

日本は、その国土の約7割を山野におおわれており、
記紀の時代から自然崇拝、山岳信仰の篤い国であった。

自然を畏怖し、自然と共存しながら暮らすなかで、
日本人の価値観や美意識が培われてきたのではないかと思われる。


時として起こる自然への回帰心、
それは連綿と受け継がれた日本人の深層心理ではなかろうか。

Dsc01295

ところで、文筆家の白洲正子さんは、
日本の山野を愛し自らその脚で日本全国を旅して歩いた。

樺山伯爵家令嬢であり、ご存知のように白洲次郎の妻である。

12345        
         (白洲次郎)                      (白洲正子)

正子さんは、自分の眼で見たもの感じたもののみを信じ、
独自の美意識でそれを書き記した。
著書『かくれ里』では、人里離れた山野に佇む神仏像を紹介している。


そんな白洲正子さんの生誕100年特別展が、東京の世田谷美術館で開催されている。
昨年、滋賀県立近代美術館で同様の展示が開催されていた。

2011040706220110407064


展示は、白洲正子さんの著作ととも、関連する重要文化財や国宝が展示されている。
特に正子さんが執心した十一面観音立像は注目に値する。

R0011081

白洲正子さんは、
「ひとりの人間として自然と向き合うことで、人は何を感じ得るのか」
それを問いかけているように感じた。

自然への回帰。
それは人間も自然の一部であることを意識することで、
生あることを喜び、死することを憂う存在という、
生者必滅の理を呼び覚ますものではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.03.26

「コーヒー・ルンバ」

昔、「コーヒー・ルンバ」という曲があった。


昔アラブの偉いお坊さんが
恋を忘れた あわれな男に
しびれるような
香りいっぱいの
こはく色した
飲みものを教えてあげました
やがて心うきうき
とっても不思議このムード
たちまち男は
若い娘に恋をした♪

<a href="http://jpop.yinyueabc.com/%E4%BC%B4%E9%83%BD%E7%BE%8E%E5%AD%90/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%90/">コーヒー・ルンバ 歌詞<a> 
<a href="http://www.yinyueabc.com">音樂 ABC<a>


井上陽水か荻野目洋子、
どちらの歌唱を思い出すかで年代が問われる(笑)

この琥珀(こはく)色という形容が一番似合う飲み物、
私もコーヒーを愛してやまない。

平日は仕事をしていると、
午前、昼、午後、夕方と最低4回は飲むだろう。

できれば休日はもっと美味しく飲みたい!
そう思ってから、コーヒー器具を揃えたり、
バリスタに直接入れ方を教えていただいたりもした。

家にはペーパー、ネルドリップ、サイフォン、水出し、エスプレッソ
それぞれの抽出器具がある。

まずは、業務用小型電動ミル。
Rimg0039

豆の挽き方をダイヤル調整できる優れもの。
直前に豆を挽いて入れると、香りがすばらしい。
このカリタ製 Nice Cut Mill はすでに15年使用しているが壊れない。

お手軽だけど、味はあなどれないネルドリップ式。
R0011037

ドリップスピードを遅くするために、
内側にペーパーを入れることもある。これで洗うのも楽になる。

日常的に、よく使っているドリップマシーン。
Rimg0041

TIGER製水出し&浄水コーヒーメーカー
短時間で美味しくコーヒーを入れるにはコレが一番。

水出しコーヒーも作れる一台二役のマシーン。
夏になると、水出しのアイスコーヒーをよく作る。

そして、
濃いコーヒーといえば、エスプレッソマシーン!
Rimg0044

デロンギ製カフェ・トレビゾ
このマシンも15年ほど愛用している。
小型だが、9気圧で抽出できるのがいい。
本当は、12気圧マシンが欲しいところ。

R0010991R0010990

ちなみに、子供用のココアなどもこれでつくると美味しい。
R0011029

最後に、野外へはパーコレーター。
R0011037_2

寒い野外でもバーナーがあれば、これで熱々のコーヒーを
入れることができる。


コンガ マラカス
楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ
それは素敵な飲みもの
コーヒー モカマタリ
みんな陽気に飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ    ♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.03.21

「早春の山へ」

日を追って広がる地震の被害に、その規模の大きさを実感する。
いま自分のできることを、自分の責においてしっかりと果すことが大事だと思う。
それが何であるかは、個々の胸に問えば自ずと答えは見えるだろう。



さて、
この3月の連休は出かけることもなく家にいることにした。
これまでになかなかできなかった、読書やブログを書く事にしよう。

東北関東大地震の一週間ほど前のこと。

まさに「三寒四温」とばかりに、東京でも寒暖の差が激しかったころ、
春の息吹を探しに、神奈川の名峰!? 「陣馬山」へトレッキングへ出かけた。

標高もさほどはなく、陣馬山は足腰を鍛えるのにほど良い。
最近では、トレイルランニングをする人も増えている。

陣馬山へは、定番の高尾山・陣馬山コースを辿ることにした。
おおよそ15kmほどのトレッキングとなる。

Takao_course

前夜から、25Lの中型リュックに荷物を詰める。
今回は、山で簡単な調理をするつもりで、
ナイフに小型バーナー、パーコレーターなどを準備したため少々大きめ。
気付のワインも忘れずに入れたら、そこそこの重さとなった。


翌朝7時に起きて、東京八王子の京王高尾山口駅を目指す。
麓からALL徒歩で、まずは高尾山の山頂に登る。

リフトやケーブルで高尾山中腹まで上がろうとする人々を横目に
景観のよいという「稲荷山コース」を選び、まだ霜柱の山道を歩きはじめる。


気温はまだ低いが、晴天で空が澄み渡る。
少し登った場所に景観が開けた。

Rimg0001

写真ではわかりにくいが、彼方には東京スカイツリーも見える。


さらに登ると、およそ一時間半ほど高尾山山頂に到着。
ここから、陣馬山へと縦走する。
少し歩くと富士山がよく見えたので、ここで休憩。
昨日スーパーで衝動買いした、「黒糖バナナチップ」をいただく。


Rimg0005Rimg0016

山では甘いものが特に美味しく感じる!
「黒糖バナナチップ」にすっかりハマリ、友人とともに完食してしまった(笑)

その後さらに歩を進め、景色を楽しみながら「城山」を通過。
小仏峠頂上に至る。
有名な!?タヌキさんたちがお出迎え。

Rimg0020_2

江戸時代、甲州街道はこの小仏峠を通っていた。
あまりに急勾配であったため、自動車道路をつくるにあたっては、
大垂峠へと迂回したという。
中央自動車道の小仏トンネルが大変長いのも頷ける。

この近くに、
1880年に明治天皇が山梨を訪れたときに小休止したという、
「明治天皇小佛峠御小休所」の碑がある。

13時半、影信茶屋で昼食。
小型バーナーを取りだし。豚キムチ鍋をつくる。
スーパーで購入した鍋セットに、トッピングを加えると美味しさが引き立つ。
最後に、ごはんを入れればボリューム満点!

Rimg0026Rimg0023

鍋が煮えるまでの間、ワインを飲みながら友人と語らい楽しむ。
自然なかで過ごす、こんなひとときが至福だ。

食べ終わるころには、体が十分に温まっていた。
再び、陣馬山頂を目指して歩を進める。

Rimg0028Rimg0029

ここから先は、山中を歩く。
景観は陣馬山頂まで望めないが、樹々にかこまれた空間もまたすばらしい。

R0013062

地を這うような木根の力強さに、ふと
昨年、訪れた鞍馬山を思い出した。

SUUNTOは標高840mを表示。もうすぐ陣馬山頂上(857m)だ。
時折、日陰では足下に残る雪をふみしめる。

Rimg0043Rimg0044

午後3時半に陣馬山頂上に到着。
およそ、15kmを走破。

Rimg0041Rimg0039

頂上では、有名な白馬がお出迎え。

20110305040

1960年代後半、京王電鉄が「陣馬山」を観光地として売り出すために建てたという。
それまでは「陣場山」と表記され、その由来は、武田氏が北条氏の滝山城を
攻めるためにこの地に陣を張ったことによる。

20110305041Rimg0036
            

しばしその景観を楽しんだあと、茶屋で甘酒をいただいた。
そして、いざ下山。

Rimg0040

和田バス停から4時半のバスに乗る。

ほどよい疲労感とともに、帰宅後のビールも美味しく楽しめた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧